| Ⅱ 三室戸寺・天ヶ瀬ダム・朝日山・仏徳山・宇治平等院 2017年6月17日(土)(晴れ)六人会(26~32℃) |
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| 三室戸寺と宇治平等院に時間を費やした。その間、朝日山と仏徳山を歩いた。 |
| 京阪三室戸駅(20m)=10:30(20m) 京阪宇治線。 萬福寺分岐 【萬福寺】については、項の末尾参照。 三室戸寺駐車場=10:45 山門 本堂 三重塔 あじさい園。 三室戸寺駐車場=11:30 白龍山寳珠寺=11:33 三室戸小学校 志津川出合 喜撰山ダム分岐。 白紅橋 天ヶ瀬ダム下=12:05 昼食=12:15~12:48(65m)(30℃) 天ヶ瀬ダムの上に行く途中で、昼食。 天ヶ瀬ダムを観覧せずに、戻る。 白紅橋=12:49 天ヶ瀬吊り橋=12:53~12:58 トイレ。渡る。 興聖寺石門・総門=13:16(35→20m) (29℃) 20m。 (琴坂) 興聖寺山門(40m) 右に回り込むように進む。 仏徳山分岐 左に戻るように曲がる。 分岐 左へ。 仏徳山分岐1=13:34 右へ。 朝日山=13:38~13:55(125m)(28℃) 124m。 朝日観音。菟道稚郎皇子之墓。五輪塔。 朝日山頂五重石塔。戻る。 仏徳山分岐1=14:00(95m)(26℃) 直進。 仏徳山分岐=14:00 直進。 大吉山公園登り口 右へ。 仏徳山=14:05~14:10(130m)(26℃) 大吉山。131.5m、三等三角点。 大吉山公園登り口 大吉山風致公園=14:14 西笠取11.4km、宇治上神社1.2km・ 宇治神社鳥居前1.4km。 展望台。 (さわらびの道) 宇治上神社=14:32~14:40(35m)(29℃) 40m。 宇治神社(30m) 朝霧橋(20m) 朱塗りの朝霧橋を渡って、 橘島(中の島)に渡る。 そして右手に見える橘橋を渡って、 平等院へ向かう。 平等院表門=14:56 最勝院。不動堂。源頼政の墓地。 浄土院。羅漢堂。養林庵書院。鳳凰堂。 平等院ミュージアム鳳翔館。観音堂。 扇の芝。 平等院表門=15:41 宇治橋 京阪宇治駅(20m)=15:50(25m)(32℃) (02:27/05:05) |
| 萬福寺と黄檗宗 黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。 当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが幕府の政策等により、明治9年、一宗として独立し「黄檗宗」を公称するようになりました。日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。 他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残しているということが挙げられます。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。朝夕のお勤めをはじめ儀式作法や法式・梵唄(太鼓や銅鑼など様々な鳴り物を使い読まれる、黄檗宗独特の節のあるお経)にはその伝統が受け継がれており、今日の中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通する部分が数多く見られます。 (黄檗宗大本山・萬福寺のホームページ) |
仏徳山・朝日山
| 仏徳山・朝日山 |
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| Ⅰ 郷之口・東海自然歩道・仏徳山・平等院・宇治 |
| Ⅱ 三室戸寺・天ヶ瀬ダム・朝日山・仏徳山・宇治平等院 |
| 仏徳山(ぶっとくさん)は、京都府宇治市宇治に位置する。標高は131.5mで、三等三角点(点名は旭山)が置かれている。大吉山ともいう。 朝日山(あさひやま)も、京都府宇治市宇治に位置する。標高は124mである。 |
| Ⅰ 郷之口・東海自然歩道・仏徳山・平等院・宇治 2016年12月17日(土)(晴れ一時曇り)三人(7~12℃) |
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| 郷之口バス停(120m)=09:55(120m) JR宇治駅から京都京阪バスで。 (R307) 現在地がよく分からなかったが、 とりあえず西に向かう。 突き当たりの交差点が郷之口下町。 郷之口下町=09:58~10:05(125m)(10℃) 124m。 郷之口0.5km、くつわ池2.0km。 東海自然歩道の標識があって、 現在地を確認できた。 地形図の124m地点。 北に向って、すぐに西に向かう。 バス道合流 車の交通量が多く、注意しながら歩く。 くつわ池自然公園=10:33~10:35(245m) (8℃) 241m。 上ノ池は平安初期、下ノ池は江戸末期に 造られたかんがい用池。 府民スポーツ広場=10:36~10:41(250m) みどりが丘バス停。 京都府立府民スポーツ広場。 トイレ。 バス道分かれ(220m)=10:53(220m)(7℃) くつわ池1.0km、白川2.7km。 細い道に入ると、右上に溜池がある。 左の沢沿いの道を歩く。 道はススキでおおわれ、 倒木もあったりで、足元も悪い。 道を間違えたのではないかと思う ほどである。 車道合流=11:11(160m)(8℃) くつわ池1.7km、白川2.0km。 天ヶ瀬ダムに向かう車道をしばらく歩く。 天ヶ瀬ダム分岐=11:17 くつわ池2.2km、白川1.5km、 天ヶ瀬ダム2.2km。 天ヶ瀬ダムに向かう車道に沿った、 左の白川に向かう細い舗装道に入る。 そして静かな田舎の道を歩き、 白川の集落に出る。 標識=11:31 くつわ池3.3km、 白川0.4km・白山神社0.2km。 白川(60m) 右に白山神社があるので、立ち寄る。 白山神社=11:36~11:43(70m)(10℃) 70m。 【白山神社と金色院】については、 この項の末尾参照。 山門=11:47 山門をくぐって、 突き当たりを右に向かう。 3号線出合(30m) 3号線をくぐって、 宇治川沿いの道を右に向かう。 天ヶ瀬吊り橋(20m)=12:06~12:07(30m) (9℃) 白川1.3km、宇治神社鳥居前1.5km、 宇治神社鳥居前2.2km。 ダムまで行かないで、 ここで吊り橋を渡って折り返す。 所々、まだ紅葉が残っていてきれいだ。 景色を見ながら、ゆっくり歩く。 興聖寺石門・総門=12:22~12:25(25m) (11℃) 20m。 「曹洞宗高祖道元禅師初開之道場」・石碑 【興聖寺】については、末尾参照。 興聖寺山門(40m)=12:28~12:31 時間がないので、少し境内に入って 様子を見た後、山門を出る。 寺に沿って、左に歩く。 朝日観音の分岐で、 左の整備された道に向かう。 途中、東海自然歩道の標識があって、 道に間違いがないことを確認した。 分岐=12:40~12:41 興聖寺0.4km、西笠取11.2km、 仏徳山0.2km・宇治上神社1.3km。 右は西笠取からの道。左の仏徳山へ。 大吉山風致公園 西笠取11.4km、宇治上神社1.2km・ 宇治神社鳥居前1.4km。 公園の上(東)端。 仏徳山(大吉山)を往復する。 仏徳山=12:47(145m)(10℃) 大吉山。131.5m、三等三角点。 大吉山風致公園=12:49~12:51 公園の休憩所から、宇治が一望できた。 公園を下ると、宇治上神社に着く。 宇治上神社(40m)=13:10~13:20 【宇治上神社】については、末尾参照。 宇治神社(30m)=13:22~13:23 【宇治神社】については、末尾参照。 宇治神社の境内から朝霧橋へ向かって、 まっすぐ下る。 宇治川の手前、左手にある福寿園に 立ち寄って、昼食をとることにする。 福寿園=13:25~14:03(30m) 朝日燒窯芸資料館の隣。 ゆっくりと昼食をとった。 朝霧橋(20m) 朱塗りの朝霧橋を渡って、 橘島(中の島)に渡る。 そして右手に見える橘橋を渡って、 平等院へ向かう。 平等院=14:10~15:12(25m)(12℃) 【平等院】については、項の末尾参照。 表門。最勝院不動堂。鳳凰堂。鳳翔館。 南門。 県神社=15:14~15:15 JR宇治駅(23m)=15:23(30m) (03:03/05:28) |
| 【 白山神社と金色院】 白山神社は延暦9年(790)に疱瘡が流行したときに、その治癒を願って建てられたと伝えられていますが、やがて藤原頼通の娘で後冷泉天皇の皇后寛子の建立といわれる金色院の鎭守社となりました。祭神は伊邪那美命で、平安時代後期の木造座像を祀っています。康和4年(1102)に建立された金色院は、七間四面の本堂のほか、多くの堂塔や坊舎を誇り、堂塔には金がちりばめられていたと伝えられています。現在では白山神社と惣門、寛子の供養塔といわれる九重石塔が残るのみですが、同じ白川の地蔵院に保存されている数々の宝物や文化財から、往時を偲ぶことができます。(「宇治市の史跡紹介」の説明文) 【興聖寺】 興聖寺の名は、曹洞宗の開祖道元禅師が伏見深草に開いた由緒ある寺にちなみ、慶安元年(1648)に淀城主永井尚政がそれを宇治の地に再興しました。本堂は伏見城の遺材で造ったとも伝えられており、境内は禅寺にふさわしい威厳と静寂に満ちています。また山門に至る参道は琴坂と呼ばれ、紅葉の名所として知られています。境内に安置されている平安時代後期の木造聖観音立像は、かつては源氏物語宇治十帖の古跡のひとつ、手習の杜に祀られていたことから「手習観音」の呼び名で親しまれています。(石門前の「宇治市の史跡紹介」の説明文) 【宇治上神社】 宇治川東岸、朝日山の山裾にある神社です。/創建年代などの起源ははっきりしていません。菟道稚郎子は応神天皇の皇子で、父に愛され皇太子に立てられましたが、兄である仁徳天皇と皇位を譲り合い、自殺して皇位を譲ったと伝えられています。(皇位継承争いをしたとの説もあり)/明治維新前、両社を合わせて宇治離宮明神、八幡社と呼ばれ、近くの宇治神社を下社・若宮とするのに対して、宇治上神社は上社・本宮とされていました。/平成16年(2004年)2月、奈良文化財研究所・宇治市等が年輪年代測定調査を行った結果、本殿は1060年頃の現存最古の神社建築であることが裏付けられ、1052年創建の平等院との深い関連性(その鎮守社と言う)が伺えます。(京都デザインのホームページ・2016/12) 【宇治神社】 延喜式内社/宇治神社/【御祭神】菟道稚郎子命/第十五代応神天皇の皇子/【御由緒】宇治橋の離宮(桐原日桁宮)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命の宮居の跡と伝えられている。/応神天皇が稚郎子命を天位に任命するが、稚郎子命は王仁博士から儒教の思想を学んでいたので、兄の大鶴鷯命(後の仁徳天皇)を差し置いて天位に就く事が儒教の思想(長子相続)と違ったため、稚郎子命は天位を兄の大鶴鷯命に譲ったが相譲りあいの後、死をもって節を全うした。後に、兄の仁徳天皇は稚郎子命の宮居に祠を建て神霊を祀ったのが、この神社の始まりである。/【御神徳】宇治の氏神様/幼い頃より聡明にして、阿直岐や王仁博士について学問の道を極められ、我が国最初の文教の始祖であり、学業や受験合格の神様として崇められている。……(宇治神社の説明板) 【平等院 】 平等院は永承7年(1052)、関白藤原頼通によって父道長の別荘を寺院に改め創建されました。その翌年の天喜元年(1053)に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立され、その建物が現在鳳凰堂と呼ばれている、経典に描かれる浄土の宮殿をイメージした、優美で軽快な建物です。/庭園は浄土式の借景庭園として史跡名勝に指定され、現在鳳凰堂周辺の洲浜や平橋・反橋などが整備されています。/その他にも、平等院には大和絵風来迎図、梵鐘、鳳凰一対など平安時代の多くの文化財が伝えられています。特に11世紀の仏像群としては唯一伝来する、雲中供養菩薩52躯は、いずれも雲に乗り、様々な楽器を奏で舞うなど、伸び伸びと繊細に彫り上げられています。(「平等院のパンフレット」) |