役行者を巡る【千葉】

役行者を巡る【千葉県】
 【1館山市】 Ⅰ観音寺(養老寺)、Ⅱ洲崎神社、Ⅲ醫王寺妙音院
 【2市原市】 大福山
 【3鴨川市】 大山寺
 【4君津市】 Ⅰ観音寺、Ⅱ神野寺
 【5富津市】 Ⅰ浜金谷港、Ⅱ最上寺
 【6南房総市】Ⅰ大房不動滝、Ⅱ瀧淵神社、Ⅲ小松寺
1 館山市
Ⅰ 妙法山観音寺(別名、養老寺)…千葉県館山市洲崎1331。(2009/03)
 真言宗智山派。 本尊は十一面観世音菩薩。安房三十四観音霊場第三十番札所。養老元(717)年、役行者の開基。洲崎神社の別当寺であった。
 洲崎神社の本殿の左手の山道を下る道は、確認はしなかったが、養老寺に下っているようであった。
 養老寺の境内には石窟、独鈷水などがある。境内右手上方の石窟に役行者、前鬼、後鬼の石像が祀られているが、かなり風化している。役行者像は倚像である。
 曲亭馬琴(滝沢興邦)の『南総里見八犬伝』で役行者が初めて出てくるのは、肇輯巻之四第八回である。伏姫が三歳になっても、物も言わず、笑みもせず、泣くばかりであったので、養老寺に旅宿して、洲崎明神の役行者を祀る石窟に七日間のお参りをする。その帰り道に役行者から仁義礼智忠信孝悌の八字が彫られた数珠一連を授けられたことになっている。犬飼現八の生まれ故郷でもある。

Ⅱ 洲崎神社の御神石…千葉県館山市洲崎1697。(2009/03)
  洲崎神社から県道を越え、浜の鳥居をくぐって海岸に向かうと「洲崎神社の御神石」がある。その説明によれば次の通りである。

 御神石は、その昔、役行者が飛来し、海上安全のために一つを洲崎の地に一つを現在の横須賀市吉井の地に置いていったと言う伝説と竜宮より一対の大きな石が洲崎明神に献上されたが、ある時、その一つが天太玉命(安房神社の御祭神)の御霊代として東国鎮護のために吉井の地に飛んでいったという伝説が残されています。
 吉井に飛んでいった御神石は、同所鎮座の安房口神社の御神体としておまつりされ両御神石は互いに向かいあって置かれていて「阿(安房口神社)吽(洲崎神社)の石」と呼ばれています。……

Ⅲ 光照山醫王寺妙音院…千葉県館山市上真倉1689。(2018/05/03)
 高野山真言宗。
 神変大菩薩(役行者)の石像が安房高野山八十八箇所霊場(15分ほどでお参りできる)の山頂(奥院)に祀られている。平成11年5月に安置されたものである。右手に錫杖、左手に経巻持った倚像である。その表情は遠くを見つめた様子をしており、開口した口には、上歯がリアルに彫られている。【写真 1】

(以下はホームページより、2018/02/28)
妙音院の歴史
◎妙音院のはじまり
当院は、正式名称「光照山醫王寺妙音院」通称「安房高野山妙音院」といい、南房総唯一の高野山真言宗であります。
 鎌倉期に源頼朝公第三男、鎌倉法院・貞暁が紀州高野山、一心院谷にご開基されました。
天正七年(1579)大名里見義頼公の発願により、高野山別院・里見家の祈願寺として安房国へ開山され、里見氏より破格の寺領161石を与えられ、保護されておりました。
◎時代は江戸へ
江戸の世と移り、里見公が鳥取の倉吉へと改易され御朱印地75石と減高されたものの、それでもなお多い寺領を徳川家より保護されていました。
その理由は紀州徳川家からの庇護があった為だと云われております。江戸時代は徳川家の祈願寺として保護されました。
現在も徳川家より奉納されたと云う大般若経典六百巻が寺宝として伝わっています。
その後は、明治の時代まで聖方(高野聖)の寺院として活動していました。

安房高野山八十八箇所霊場について
……
◎夢野お告げによって開かれた安房高野山八十八ヶ所霊場
明治28年(1895)、上総国の前羽覺忍と云う老尼僧がこの地を訪れ・・・
「私は弘法大師を信心し、四国八十八ヶ所の霊場を遠くの地でも礼拝できる場を作りたいと願い、全国を行脚しています。夢で安房に霊山があるとのお告げを受け、房州各地を巡り来てみると夢で見たそっくりの場所を見つけました。どうぞこちら妙音院に霊場を…。」
と当山住職に懇願し、一山全体に四国霊場を遷した「安房高野山八十八ヶ所霊場」が開基することになったのです。石工作りの大師尊象が一体一体名工の手を借り、高野山住職の開眼法要を受け、約二年の歳月をかけて開山されました。房州の生んだ名工、彫仏師初代「後藤利兵衛義光」や楠見の石工「俵光石」制作の石像がございます。

修験道の開祖、役の行者(神変大菩薩)
日本山岳宗教の開祖、神変大菩薩(役小角えんのおずぬ)の尊像が山頂(奥院)に安置されています。
平成十一年五月吉祥日
安房修験復興を祈念し、二實修験道総本部金剛山真勝寺様より再建御奉納頂きました。驚異的な速さで山々を修行された役行者様にあやかり足腰の健康をご祈願ください。
安房高野山から和歌山高野山へ 祈りを届けて
誰にも言えない、つらい気持ち、今のあなたのその気持ちを高野山おくのいんのお大師様へそっとお届け下さい。山頂の役行者様を正面にお参りいただくと、和歌山県の高野山と奈良県の大峯山の方角を向いてお参りいただけます。・紀州高野山を遥拝出来るようになっております。館山・妙音院―奈良県・大峯山―和歌山高野山は一直線につながっております。
2 市原市
大福山…千葉県市原市石塚。(2009/03)
 別名は杉ノ山、権現山、兜山。
 山頂には日本武尊を祭神とする白鳥神社があって、「神社改修記念」の板碑には次のように記されている。

 此ノ地ハ市原市ノ最端ニ位シ市内第一ノ高山ナリ古来附近ノ地名ヲ杉ヶ畑ト云ヒ當山ヲ杉ノ山ト云ヒシナリ
 役ノ行者此ノ地ニ来リ蔵王権現ヲ祀リテ開基ス依ツテ俗ニ権現山ト云フ……
             昭和四十二年十一月竣工ス

3 鴨川市
高藏山大山寺…千葉県鴨川市平塚1723。(2018/05/03)
 真言宗智山派。不動明王。
  「大山不動と高藏神社の文化財解説」
大山不動尊(大山寺)と高藏神社の概要
 大山不動の名で知られる高蔵山大山寺は神亀元(724)年に良弁僧正が開山したと伝えられる。相模大山不動、成田不動と並ぶ関東三大不動ともいわれ、雨乞いの霊地として地域の人々から厚く信仰されてきた。源頼朝、足利尊氏、里見氏の信仰を受け栄えたが、天正期の戦乱で衰退したため天正14(1586)年に再興。その後享和2(1802)年にも再建された。江戸時代は天台宗聖護院(京都市)末の修験寺で、修験道の廃止により明治5(1872)年に真言宗となるも、庶民に浸透した修験道の思想は講となって今も受け継がれている。また、大山寺の別当だった安田家には大山寺の歴史や信仰を伝える資料が「安田文書」(県指定)として残されている。高藏山山頂にある高藏神社(石尊様)は大山寺と共に良弁僧正が創建しており、幕末まで大山寺が別当寺だった。……県指定の北風原の羯鼓舞は大山不動に奉納された雨乞祭である。南北朝の動乱で戦死した人々の供養のために足利尊氏が諸国に建立した利生塔は、安房国では大山寺に造立された。同じく安国寺は鴨川市北風原にある。(中略)
⑤手水舎
 三代後藤義光とされる木鼻の振向き獅子がつく。奥には役行者像が安置されており、銘はないが元名村の武田石翁作と伝えられている。(中略)
⑬神変大菩薩諡号碑
 神変大菩薩は役行者(役小角)の尊称で、光格天皇が寛政11(1799)年の役行者1100年遠忌の際に、神変大菩薩の諡号をしたことを記念した碑。基礎の正面に獅子、側面には願主の人名・寺院名等が記されている。(以下略)

 手水舎の役行者像は石造で、右手に経巻?、左手に錫杖?を持っていて、右足を左足に乗せた半跏像である。表情は、眼、口ともにかっと開いて、叱りつけているかのようである。開いた口には上下の歯が明瞭に彫られている。【写真 2】

4 君津市
Ⅰ 三石山観音寺…千葉県君津市草川原三石。(2009/03)
 真言宗智山派。本尊は十一面観音菩薩。
 奥の院に役行者が祀られている。3月27日、午後4時半に訪れたが、4時に閉門していた。翌28日再訪。本堂の先にある護摩堂の裏を一回りする道がある。その道をたどると、三石山山頂部に役行者を祀る奥の院があって、ハンカチを結んで願をかけるようになっている。
 木の祠に半肉彫りの役行者の石像が祀られていた。つり目で、右手に錫杖、左手に数珠を持った倚像である。【写真 3】

Ⅱ 鹿野山神野寺(じんやじ)…千葉県君津市鹿野山324-1。(2009/03)
 真言宗智山派(総本山が智積院、大本山が成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王院)に属す。推古天皇六年(598)聖徳太子が開山。本尊は、薬師如来と軍荼利明王。
 本堂左の経堂に、不動明王、第十四世利珊上人、役行者(神変大菩薩)などが祀られている。
 等身大の役行者の木像は、右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。【写真 4】

5 富津市
Ⅰ 浜金谷港の墓地…千葉県富津市金谷2119-3の北側にある墓地。(2018/05/03)
 地形図で墓地を確認。千葉県富津市金谷2119-3の北側の墓地に行ってみた。墓地の奧に石窟があって、奥には大日如来と釈迦牟尼の石像が祀られていた。石窟の前には、羅漢像が祀られていて、役行者の石像も祀られていた。
 役行者の表情は、両眉が太く、眼を掩っており、口は閉じられ、しかめっ面をしている。左足を右足に乗せた半跏像である。両腕が破損しているのが残念である。【写真 5】

Ⅱ 普和山最上寺…千葉県富津市岩瀬416。(2009/03)
 真言宗智山派。本尊は不動明王。岩瀬不動尊。
 天智天皇の時代(666~671)に、役行者が「本尊不動明王を勧請して普和山と号し、悪鬼退散・万民豊楽を祈念して最上寺と称した。」(『関東三十六不動霊場』)
 平成十二年八月に建立された開基堂(神変堂)に、前鬼、後鬼を従えた役行者の木像が祀られている。彩色された新しい木像で、右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。【写真 6】

6 南房総市
Ⅰ 大房不動滝・行者の窟…千葉県南房総市富浦町多田良。(2018/05/03)
 大房岬の南芝生園地の奥に大房不動滝・行者の窟がある。 環境庁・千葉県による「大房不動滝と行者の窟」の説明板には、次のように記されている。

 西暦701年、伊豆の大島に島流しとなった役の小角(行者)は、毎夜、大房岬へ飛んできては窟を掘り、不動明王の像をまつったと伝えられています。その頃、付近を荒らし回っていた海賊を小角がこらしめたことから人びとは感謝し、不動明王を熱心に信仰しました。これが大房不動の始まりです。
 その後、851年、訪れた慈覚大師によって海賊の子孫として差別されていた童女が救われ、金の竜となって、天に昇ったことから、堂舎は滝淵山・竜善院と名づけられました。
 1441年には、結城の戦いに敗れて安房の国へ逃れてきた里見義実も、この滝で身を清め、不動尊に武運を祈願しています。
 初代の石造りの竜は欠け落ちて久しく、ようやく平成7年、新たに2台目が誕生しました。

Ⅱ 瀧淵神社の石造群…千葉県南房総市富浦町多田良1193。(2009/03)
 富浦町指定文化財。

 瀧淵神社の境内には、神社創建の地とされる大房岬から移設された石造物が多数ある。……役行者の石像は(像高・百二十センチ)室町時代の作と考えられ、優れた石像であったと思われる。……「大武佐不動縁起」には、役行者がその折、伊豆大島から飛び来って大宝寺(瀧淵不動)を創建したと記してある。(富浦町教育委員会の説明板)

  石造群の中の等身大の役行者の丸彫りの石像は、かなり風化している。右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。【写真 7】

Ⅲ 檀特山小松寺…千葉県南房総市千倉町大貫1057。(2009/03)
 真言宗智山派。本尊は薬師如来。東国花の寺百ヶ寺。
 「文武天皇の時代(683~707)に役小角[えんのおづぬ=役行者]によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を「巨松山檀特寺」とする。※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。」(小松寺のホームページ)
 訪れた日は、ちょうど寺の人がいて、本堂の中に入るのを許可してくれた。本堂内右手に等身大、玉眼の役行者の木像が祀られていた。痩身で、右足を左足に乗せた半跏像である。
 寺の人の話では、右手に経巻、左手に蓮華を持ち、草鞋を履いているのは珍しいとのことであった。鎌倉時代前期の作であるといわれている。

      1 光照山醫王寺妙音院の役行者

       2 高藏山大山寺の役行者

        3 三石山観音寺の役行者

       4 神野寺経堂の役行者

        5 浜金谷港の墓地の役行者

   6 普和山最上寺・開基堂(神変堂)の役行者

        7 瀧淵神社の役行者