| 法宝寺・室尾山 2014年5月24日(土)(晴れ)二人(21~29℃) |
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| 室尾山(むろおやま)は、兵庫県朝来市和田山町和田、岡田、高生田にまたがる。標高は629.3mで、三等三角点(点名は岡田山)が設けられている。「ふるさと兵庫100山」に選ばれている。 |
| 久しぶりの「ふるさと兵庫100山」で、2012年の「三濃山」「鋸山」以来である。 新緑の山を楽しむことができたが、それにしても暑くて、汗をかいた。キャンプ場から登るための標識であろうか、その標識が現れるまでは、登山道がはっきりしないところもあったので、注意して歩いた。 なお法宝寺に着いては、この項の末尾参照。 |
| 法宝寺(150m)=11:26(160m)(27℃) 兵庫県朝来市和田山町岡田194-1。 駐車スペース。 舗装道路を西に。 八幡宮鳥居=11:28~11:29(155m)(26℃) 石段を上がる。 八幡宮社殿=11:31~11:35(160m)(25℃) 左から山へ入ると、少し先に鉄柵がある。 左の方に開閉できるところがある。 そこからまっすぐ、えぐられた道を進む。 少し荒れた感じがして、戸惑った。 沢=11:56(290m)(21℃) 左下に見えてくる沢と出会ったところで、 左に渡る。 標識=12:01~12:02(305m)(22℃) 古い消えかかった「法宝寺・岡田・ 室尾山」の標識のすぐ右先に 新しい標識がある。 「岡田0.8km、室尾1.2km、 法宝寺跡50m」。 法宝寺跡に向かって50m足らず進むと、 鉄柵がある。 鉄柵 法宝寺跡はどこだろうかと、 首をひねりながら、 鉄柵の扉を開けて進む。 法宝寺跡=12:08~12:13(340m)(23℃) 万葉の森(ログ小屋)。薬師堂跡。 左の方にある道に標識がある。 標識=12:13(340m)(24℃) 「室尾山頂1.3km」。標識に従って歩く。 左に竹藪が現れる。 標識が次から次へと現れる。 標識=12:17(365m)(24℃) 「室尾山頂1.1km、法宝寺跡0.2km」。 標識=12:23(415m)(22℃) 「室尾山頂0.9km、法宝寺跡0.4km」。 キャンプ場分岐=12:26(435m)(21℃) 「室尾山頂0.8km、法宝寺跡0.5km、 キャンプ場」。 標識=12:28 「室尾山頂0.75km」。 標識=12:29(455m)(21℃) 「室尾山頂0.7km」。 男山分岐1=12:33(485m)(22℃) 「室尾山頂0.55km、男山0.1km」。 男山には帰りに行くことにして、 室尾山に向かう。 標識 「室尾山頂0.5km」。尾根出合。 すぐ先で右折すると、広い尾根道になる。 そして急坂が続く。 室尾山=12:49~12:58(640→630m)(22℃) 629.5m、三等三角点。 西方が少し開けている。 あんパンを食べる。 下りで、単独の男性と行き交う。 標識=13:11(495m)(21℃) 「室尾山頂0.5km」。尾根から分かれる。 男山分岐1=13:13(480m)(22℃) 「室尾山頂0.55km、男山0.1km」。 男山に向かう。 男山=13:15~13:16(485m)(21℃) 470m。 頂上らしいところにベンチが あるだけであった。 男山分岐1=13:18(480m)(22℃) 「室尾山頂0.55km、男山0.1km」。 標識~13:21(450m)(23℃) 「室尾山頂0.75km」。 キャンプ場分岐=13:23(435m)(23℃) 「室尾山頂0.8km、法宝寺跡0.5km、 キャンプ場」。 標識=13:25(415m)(22℃) 「室尾山頂0.9km、法宝寺跡0.4km」。 法宝寺跡=13:34~13:42(335m)(24℃) 凍らせたゼリーを食べる。 標識=13:46(310m)(26℃) 「岡田0.8km、室尾1.2km、 法宝寺跡50m」。 沢=13:50(290m)(25℃) 八幡宮裏の鉄柵=14:05~14:06(175m)(23℃) 八幡宮社殿=14:07(185m)(24℃) 八幡宮鳥居 法宝寺(150m)=14:11(170m)(29℃) (02:15/02:45) |
| 【法宝寺略縁起】 当山は、朝養二郡の境の室尾山に、天平二十年(七四八)に行基菩薩が開山、弘仁八年(八一七)に空海上人巡錫のおり本尊の開眼をされたと伝える。往古は石清水八幡宮を勧請し、その別当として本坊法宝寺、岡田正眼寺、新岡七宝寺がつとめ(三職)十五ヶ坊、宝塔等の七堂伽藍が完備し、千石の寺領を有して南但の名刹として栄えた。 天正五年(一五七七)には秀吉但馬攻ありその際寺を兵火から守るための禁制礼がおかれた。寺領もこの時没収されたという。 近世に入って寺運も衰え寺領も減じ、まして明治の廃仏棄釈には八幡宮とも分離し衰退の度を加えた。 昭和九年(一九三四)の大雪には庫裡倒壊の大打撃を受け、その再建に際し、俊猛法印と檀徒は幾多の難問を解決し、昭和十一年(一九三六)に山麓のこの地(浜家屋敷跡)に移転し法灯を現在に伝えている。 高野山真言宗 室尾山法宝寺 |