| 5 Days Mont Blanc Training Course コスミック小屋/モン・ブラン(ヨーロッパ最高峰)/ボソン氷河/プラン・ドユ・エギーユ |
登山 |
| モン・ブラン(4810m)【5 Days Mont Blanc Training Course】 |
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| 初めての雪山の海外登山、少し長くなります。 モン・ブラン(仏)、モンテ・ビアンコ(伊)の標高は、4810m。ヨーロッパ・アルプスの最高峰である。資料によっては、4807mであったり、4810mであったりで、どちらが正しいのか分からなかったが、2001年に4807mから4810mに改正されたそうである。 蛇足ながら初登頂は、1786年8月8日、シャモニの医師ミシェル・G・パカールと水晶採りのジャック・バルマによる。 フランス側の主な登頂ルートは、西側のノーマル・ルート(クラシック・ルート)であるエギーユ・デュ・グーテ・ルート、北側のグラン・ミュレ・ルート、東側のトロワ・モン・ブランあるいはコスミック・ルートと呼ばれるトラヴァース・ルートがある。 トラヴァース・ルートは、エギーユ・デュ・ミディ、コスミック小屋からモン・ブラン・デュ・タキュル、モン・モディを経由するモン・ブラン縦走コースで、今回の「5 Days Mont Blanc Training Course」の登山コースである。 シャモニ(Chamonix)には、登山用具をレンタルしているスネルスポーツ用具店がある。またコインランドリーなどもあるので、長期滞在にあまり困らない。 日本を出発する直前に、日本の登山家が7月25日、エギーユ・デュ・ミディ北壁を単独登攀中、滑落死したという新聞記事を読む。新進気鋭のクライマー鈴木謙造氏で、29歳という若さ。 |
| 2001年7月30日(月)(晴れ) シャモニのガイド組合の前のカフェで、説明を受けたあと、さっそくメール・ド・グラス氷河に行き、11時から17時まで、クランポン(アイゼン)・ピッケルなどを使って、雪上歩行、氷壁クライミングなどの実地講習を受ける。 |
| 2001年7月31日(火)(晴れ) 朝、ガイドさんとわれわれ夫婦がシャモニ駅(1030m)で待ち合わせて、9時45分にロープウェイに乗る。中間駅プラン・ド・レギーユ(2310m)を経て、30分ほどでエギーユ・デュ・ミディ山頂駅(3777m)に到着する。 ちなみにモン・ブラン登頂後の下山最終地点は、中間駅プラン・ド・レギーユであった。 10時半頃、観光客の見入る中をアンザイレンして、細い雪稜を下る。本格的な雪山は初めてのことなので、緊張する。左の眼下には、急な白い斜面が切れ落ちていて、その先にシャモニの町が静かに横たわっている。途中で、傾斜が緩くなってきたところで、右にトラヴァースしながら下り、周回する。そうした高度順応と実際の雪上歩行訓練が、昼食を入れて、14時頃まで行われた。 ロープウェイ駅に戻った時、日本の観光客から声を掛けられる。明日からモン・ブランに登るとこたえる。天気はいいようですね、と言われた。 |
| 2001年8月1日(水)(晴れ) 今日は、コスミック小屋に行くだけなので、待ち合わせ時間が遅い。エギーユ・デュ・ミディ駅に着いたのが16時50分。 エギーユ・デュ・ミディ(3777m)・・・・・16:50 戻ってくる登山者がいて、渋滞気味の中、例の細い雪稜に足を踏み入れる。昨日より緊張する。すでに多くの登山者が歩いているのと、夕方なので、雪が腐りかけた感じであった。 昨日下った雪稜の地点よりも手前を、南方のヴァレ・ブランシュの方に向かい、踏み跡に従って、ミディの南壁下をトラヴァース。眼下に見えるコスミック小屋に向かう。 コスミック小屋(3613m)・・・・・・・・・17:27 ピッケルをかけておくところ、登山靴をおいておくところなどが整然としている。受付で、明日の朝食時の飲み物を何にするか聞かれ、チョコレート(ココア)にする。部屋に案内され、荷物をおいて、テラスに出る。 すばらしい景色だが、山の名前がよく分からない。ひとしきり写真を撮ったが、後で調べてみると、肝心のモン・ブランだけが写っていなかった。 夕食 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・18:30~19:30 夕食は、ガイドさんの知り合いのパーティ2組と、一緒のテーブルについた。フランスで一番立派な山小屋だと言われた。確かにそうだと思う。1991年に建てなおされたとのこと。 メニューもすばらしく、スープ、チーズ、肉の串刺し、ライス、トマトなどが出され、さらにライスにスープをかけたものまで出た。ビールを飲みませんかと聞くと、ガイドさんがやめた方が良いという。隣のドイツ人パーティは、ワインを飲んでいた。デザートはイチゴのムース。そしてコーヒー。生ビールもあるし、ワインはもちろん、さらに別料理もあるようだ。 それにしても東洋人は、われわれの他には誰もいないし、年齢的にも、われわれのような中高年は誰もいなかった。食事をした後、しばらくして20時過ぎに、大きめのベッドで就寝。明日は1時前に起きなければならない。予定では、2時出発。 |
| 2001年8月2日(木)(晴れ) 00時45分に起床。早速、朝食を摂る。朝食は、ドンブリにコーンフレークと牛乳、さらにドンブリにホットココアがなみなみとある。そしてパン。朝は慌ただしい。 コスミック小屋(3613m)・・・・・・・・・01:50(3590m) 朝というか夜というか、真っ暗な闇の中、すでに多くのパーティが早々と出発している。空には星が輝いている。 ヘッドランプで足下を照らしながら、歩き始める。先頭はガイドさんで、家内と私が続く。緩い下りである。朝一番なので足慣らしにちょうど良い。ヘッドランプの列が視野のずっと先まで続いている。しばらくして、ふと空を見たとき、すっと流れ星が左から右に流れた。後ろにも、ヘッドランプの列が続いている。 しばらくすると、緩やかな登りになる。Col du Midi(3532m)の西の方を歩いているようだ。そして少しずつ傾斜が増してくる。モン・ブラン・デュ・タキュル(4248m)へ向かう登りである。少しずつしんどくなる。すでに休憩を取っているパーティもいて、その横を通り過ぎる。眼下に、シャモニの町の灯りが見える。 左手にモン・ブラン・デュ・タキュルを見ながら、モン・ブラン・デュ・タキュルの肩をトラバースする。トラバースしながら少し下る。ほっとする。ヘッドランプの間隔がかなりばらけている。 コル手前 ・・・・・・・・・・・・・・・・03:50~04:00(3945m) Col du Mauditの手前で、一休みする。2時間、休みなく歩いた。休んでいるときに、2組ほどのパーティに抜かれる。 Col du Maudit(4035m) Col du Mauditの右(西)の方に登る。そして再び傾斜のある登りになる。途中で、私のヘッドランプの乾電池が切れかけてきた。乾電池は新しいものだったが、アルカリ乾電池なので長持ちしない。家内のはリチウム乾電池なので長持ちするようだ。 Mon Maudit(4465m)の肩をトラバースし、しばらくすると、渋滞しているところに出会う。小さな雪壁である。足場が作ってあるので、とくに難しくもない。 休憩 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・05:43~05:53 雪壁を登ったところで休憩にする。後ろから来たドイツ人パーティに、ここで追い抜かれる。それまでは、ほとんど追い抜かれることはなかったんだが。 そして、ひたすら歩く。Col de la Brenva(4303m)の辺りを通り、Mur de la Cote?の急な坂を越える。 Mur de la Cote(4450m)?・・・・・・・・07:27 ここからは、なだらかな白い雪面が眼前に広がる。楽に登れそうに見える。ところがここからが実にしんどい。ひたすら登るだけだが、高度の影響も出る。しかもいままでは、約5時間40分(歩行時間、約5時間20分)かけて、850メートルの高度差を登ってきた。ここから頂上まで、約1時間で350メートル登ることになる。低山なら何ともないはずだが。 しばらくは勾配もそれほどではないが、徐々に勾配が増してくると、道は大きく蛇行していて、頂上の方まで続いている。一歩一歩が、息苦しくなってくる。立ち止まると、呼吸もすぐに戻るが、歩き出すと息が切れる。わがガイドさんは、休ませない。ちょっと立ち止まる程度である。座り込んで休んでいる登山者が、そこここにいる。おそらく座り込んでしまえば、あっという間に時間が経過するのだろう。立ち止まってみると、右手にグーテ小屋からの登山者が見える。(08:27) モン・ブラン(4810m) ・・・・・・・・・・08:36~08:56 必死に息をしながら、やっと頂上にたどり着く。頂上には、5組ほどのパーティがいたが、そこには、日本のように三角点もなければ、山名板もない。少々あっけない感じがしないわけでもない。一番高い地点は、ヴァロ避難小屋からのルートを登りつめた地点である。 記念写真を撮る。周囲の山名は分からないが、下り坂の天気にしては、遠くはかすんでいてもかなり見渡せた。いつの間にか時間がたつ。あっという間の20分であった。 下りは、私がトップで、ノーマルルートのエギーユ・デュ・グーテ・ルートをヴァロ避難小屋へと向かう。最高地点を踏みしめ、下りに入る。 頂上リッジは、エギーユ・デュ・ミディより幅が広い。道は荒れていて、危険ではないが、歩きにくい。そしていつしかボス山稜のPetite Bosse(4547m)、Grande les Bosses(4513m)を過ぎ、ヴァロ避難小屋に着いた。 ヴァロ避難小屋(4362m) ・・・・・・・・・・09:56 ヴァロ避難小屋から広い斜面を下ったところがコル・デュ・ドームで、そこでノーマル・ルートから分かれて、氷河地帯に入る。グラン・ミュレ・ルートである。誰もいない世界である。しばらくしたら、ガイドさんがクランポン(アイゼン)をはずせという。ガイドさんはすたすたと歩くが、われわれは滑って転ぶ。 休憩 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10:13~10:23 家内がシリセードを提案。OKとなって、滑りに滑った。 グラン・プラトー(3980m) 10時半を過ぎ、急坂を怖いくらい、一気に滑る。 プティ・プラトー(3650m) ランペ状の傾斜台地。 グラン・ミュレ小屋の見える手前あたりで、氷河を歩いていた単独の男性に出会った。人に出会うのはヴァロ避難小屋以来である。 グラン・ミュレ小屋(3057m) グラン・ミュレ小屋が目的地かと思ったら、立ち寄ることなく、ボソン氷河をどんどん滑って下る。右手上方のかなたのグラン・ミュレ小屋から手を振っているような様子が見える。滑りすぎて止まらなかったり、転んだりで少し危険なこともあったが、シリセードを堪能した。 ガイドさんが恐れているのは氷塔(セラック)の崩壊、アイスフォールであって、早くここを抜けたいということのようだ。なるほど時々、ドドーンという音が聞こえる。 (ボソン氷河) 昼食 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13:00~13:30 ボソン氷河を抜けたところでやっと昼食。簡単な昼食しか、わがガイドさんは準備していない。彼の持っていたジュースのような飲み物をしきりに飲んだ。 鉄塔が見えるのでそこが終点かと思ったらまだまだ先。その鉄塔は昔のロープウェイ駅、ガール・デ・グラシエール(2414m)のもの。クレヴァスを避けながら進む。とくにクレヴァスの多いペルラン氷河を抜けると、氷河横断は終わる。途中でアイゼンの片方をなくしていたのに気がついた。 finish(2385m) ・・・・・・・・・・・・・・・14:05~14:15 ガイドさんが氷河横断のフィニッシュを宣言。ここで休憩を取る。ここからさらに、まだ歩かなければならない。岩の多いトレッキングコースである。途中で、夫婦ペアのトレッカーに出会う。 プラン・ド・レギーユ(2310m) ・・・・・・・・15:50~16:30 そしてやっと、プラン・ド・レギーユ駅にたどり着いた。コスミック小屋を1時50分に出て、14時間(歩行時間12時間30分)もかかった。疲れたけれども、充実した登山であった。 ここは観光客が多い。私は缶ビールを飲んだが、ガイドさんはコーラであった。景色を楽しみながら休む。ロープウェイでシャモニに着いたのは、16時40分であった。 (12:30/14:00) |