役行者を巡る【大阪府】

役行者を巡る【大阪府】
 3群に分けました。下記から番号を選んで、クリック・タップして下さい。
 Ⅰ 大阪市、堺市、岸和田市、豊中市、
   池田市、高槻市、貝塚市、枚方市、
   茨木市、八尾市
 Ⅱ 泉佐野市、富田林市、寝屋川市、
   河内長野市、大東市、和泉市
 Ⅲ 箕面市、柏原市、羽曳野市、
   藤井寺市、東大阪市、泉南市、
   四条畷市、交野市、豊能郡、泉南郡、
   南河内郡、千早赤阪村
役行者を巡る【大阪府】(Ⅰ)
 市・区を選んでクリック・タップして下さい。
大阪市 都島区 京橋行者堂
同 福島区 如意山了徳院
同 天王寺区 荒陵山四天王寺、四天王寺庚申堂、
      有栖山清水寺
同 旭区 日吉神社、大宮神社
同 城東区 蒲生行者講、今福行者尊
同 住吉区 紫雲山神光寺
同 東住吉区 京善寺、法楽寺
同 平野区 田畑口地蔵、全興寺、長寳寺
同 中央区 大阪歴史博物館、報恩院
堺市 堺区 船待神社
同 南区 宝積院、放光寺、檜尾山行者堂
同 北区 光明院
岸和田市 神於寺、長光寺、大威徳寺
豊中市 上野西の石標、北桜塚の石標、
    中桜塚の石標
池田市 愛宕神社
高槻市 北山本山寺、行者衣掛之松、神峰山寺、
    笈掛石
貝塚市 道陸神社
枚方市 長泉寺、一乗寺、円通寺
茨木市 泉原
八尾市 大聖勝軍寺
【写真一覧】
大阪市 都島区
【京橋行者堂】…大阪市都島区東野田町1-1。(2010/10)
 地下鉄長堀鶴見緑地線京橋駅とJR東西線大阪城北詰駅の間。東側に桜宮幼稚園がある。
 右の常夜灯は、大正五年のもので、行者大菩薩を中心に右に理源大師、左に地蔵尊と銘が刻まれている。
 左の常夜灯は大正六年のもので、地蔵菩薩を中心に右に理源大師、左に行者大菩薩の銘が刻まれている。
 行者堂の内部は、正面に厨子があって扉は閉じられている。右に玉眼の役行者の丸彫りの木像が祀られている。右手に経巻、左手に錫杖を持つ倚像である。厨子の左には、役行者、前鬼、後鬼の写真が祀られている。
 行者堂内にある説明文によると、堂内に祀られている役行者は、鎌倉時代末期、前鬼、後鬼は江戸時代のものだという。おそらく厨子の中に祀られているのだろう。
 予定表などを見ると、四天王寺太子講、千光寺、大峰山、観昭寺そして京橋昭真講などの名前が見られる。
大阪市 福島区
【如意山了徳院】…大阪府大阪市福島区鷺州2-14-1。(2026/10)
 東寺真言宗。本尊は准胝観音、十一面観音(大聖歓喜天)。
 俗称、福島聖天さん。浦江聖天。
 摂津四国八十八ヶ所霊場第四番札所。大阪四不動北方霊場。
 本堂の右手前、地蔵堂の右に石塔があって、石龕に役行者が祀られている。右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。
大阪市 天王寺区
【荒陵山四天王寺】…大阪市天王寺区四天王寺1-11-18。(2000/05)
 和宗総本山。聖徳太子の建立。
 近畿三十六不動尊霊場第一番。
 東門から入って不動堂に向かう途中、境内の右手に、不動明王と、その右の石塔の石龕に役行者の石像が祀られている。(写真01)
【四天王寺庚申堂】…大阪市天王寺区堀越町2-15。(2025/03)
 大正十一年四月に井筒講によって造立された神変大菩薩を祀る石塔が立っている。
 石塔上部の正面の石龕に浮彫の役行者、左右面に前鬼、後鬼が祀られている。役行者は右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。(写真02)
【有栖山清水寺】…大阪市天王寺区伶人町5-8。(2018/06)
 和宗。本尊は十一面千手観音菩薩。
 四天王寺支院有栖山清光院清水寺。
 開山は延海阿闍梨(中興)。創建は寛永17年(1640)。
 三大清水寺。新西国三十三ヶ所霊場客番。近畿三十六不動尊霊場第二番。摂津国八十八ヶ所霊場第二十六番。大坂三十三ヶ所観音霊場第二十五番。
 仮本堂内右手に、木造の役行者が祀られていた。右手に錫杖、左手に経巻持った倚像である。太い眉、閉じた口、きっと見据えた眼。重厚な様子が見てとれる。(写真03)
大阪市 旭区
【日吉神社】…大阪市旭区赤川4-19-13。(2006/06)
 日吉神社の左奥に神変大菩薩を祀った行者堂がある。端正な若い顔つきの役行者の石像が祀られている。
 以下は、日吉神社のHP(2009/03)による。
「日吉神社の由緒」
 当神社の創建された年代は明らかではありませんが、室町時代の文安年間(1444年~1448年)に、すでにこの地に赤川寺(せきせんじ)という天台宗の巨刹(大寺)がありました[赤川村の由来]。その境内に山王社(さんのうしゃ)または、山王権現と呼ばれた神社があり、御祭神は、比叡山の日吉大社の御分霊でありました。
 赤川寺は、大坂夏の陣のとき戦火に炎上し、その後廃寺となりましたが、神社は類焼することなく、近郷の崇敬厚く氏神様として代々栄えてきました。
 明治三十二年淀川拡張工事のため境内地の北部分が接収され、本殿を約200m南へお遷ししたのが現在の場所です。
 山王社が「日吉神社」(正読「ヒエジンジャ」)と改称されたのは、明治元年です。
「日吉神社と行者堂」
 当神社の由緒にありますように、神社の前身「山王宮」があった赤川寺[せきせんじ]の一隅に「役小角[えんのおづぬ]」(修験道の初祖)の石像をお祀りしたお堂がありました。大阪夏の陣で廃寺となる頃、この石像を赤川村に安置して、行者信仰としてあがめられてきました。
 昭和三十四年、当時の神社総代会長が行者堂を神社の境内に移設してお祭りしたいとの申し出があり、先代宮司が日吉大社と延暦寺との関係(日吉大社の拝殿の床下に護摩採燈部屋があるなど)を考え合わせて同意し、当神社の境内に行者堂を奉斎することとなりました。
【大宮神社】…大阪市旭区大宮3-1。(2010/10)
 大宮神社の石の鳥居を二つくぐる。右に赤い木の鳥居。「鬼門守護大神」の説明板があるが、説明文はない。
 その奥に舟形の岩の「行者社」がある。祭神は役小角。岩には石龕があって、おそらく役行者が祀られていたものと思われるが、日月の図柄のある扉が塗り固められている。
大阪市 城東区
【蒲生行者講】…大阪市城東区蒲生4-10-24。(2010/10)
 不動明王、光長大明神、役行者神変大菩薩、弘法大師を祀っている。
 役行者を祀る石祠は扉が閉じられて、内部を見ることができない。
【今福行者尊】…大阪市城東区今福南2-12。(2010/10)
 皇大神宮の右、だんじり蔵の左に隣接している。大岩に石龕が掘られていて、木の蓋がしてある。取って中を見ると、小さな役行者、前鬼、後鬼の石像が祀られていた。役行者は右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。(写真04)
大阪市 住吉区
【紫雲山神光寺】…大阪市住吉区我孫子4-16-11。(2018/06)
 本山修験宗。本尊は役行者神変大菩薩。
 あびこ行者堂。厄除け神変大菩薩。
 我孫子公園の東、吾彦山大聖観音寺(あびこ観音)の近く。「本山修験宗 聖護院門跡末」の石標がある。
 等身大の木造の本尊は、吉野・喜蔵院の行者講との縁によるものとのこと。その本尊を祀る行者堂から始まり、信者の力で、現在はお寺になったとのこと。
 役行者像は、右手に錫杖、左手に経巻持った倚像である。見下ろすような眼は、少し細いが、かっとあけ、口を半ば開けている。厳しく叱責し、また諭しているかのようでもある。(写真05)
大阪市 東住吉区
【心王山殊勝院京善寺】…大阪市東住吉区桑津3-21-9。(2007/11、2018/06)
 真言宗御室派。本尊は不動明王。
 くわづ不動尊。近畿三十六不動尊霊場第四番。摂津八十八ヶ所霊場第四十一番札所。
 JR阪和線美章園駅から北東に徒歩15分。桑津南口交差点を北に進むと桑津公園があり、その先には桑津天神社がある。その右向かいに京善寺がある。
 受付で仏像の写真を買い求め、本堂の内部を拝観させてもらった。本堂内部中央には大聖不動明王が祀られており、左奥に弘法大師、右奥に役行者神変大菩薩が祀られている。
 役行者は等身大の木像である。また堂内右手に大聖歓喜天が祀られている。護摩堂の前には、大峰登山の供養塔がある。
 2018年6月に、特別公開・京善寺仏像群が開催されると、新聞に告知されていたので出かけた。本堂右奥の役行者像を間近で見ることができた。
 木造の役行者像は、右手に錫杖、左手に経巻持った倚像で、髭を蓄えていない壮年期の姿をしている。大峯山の秘密行者像の写しで、元文3~4年(1738~1739)の造立だと言われている。間近に見る顔は、若々しくきりっとした美男子で、玉眼の眼は厳しさを感じさせる。口はへの字に、少しあけていて、少し挑戦的でさえある。
 護摩堂内も拝観できた。中央に不動明王、左手に蔵王権現、右手に役行者の木像が祀られていた。
 役行者像は、右手に錫杖、左手に経巻持った倚像である。他の像と同様に、丸みを帯びた体型をしていて、素朴な作りである。太い下がり眉をしており、眼も八の字で、親しみを覚える。
 「大阪市のホームページ」によれば以下の通り。
桑津の旧集落の中心に寺地を構える真言宗寺院である京善寺に伝来する。玉眼を嵌入し、現状では古色を呈する。総高は約1.3mで、全国的にも類例の多くない等身大に近い大きな役行者像である。写実的な面相の描写や、胸前に露出する肋骨部分の堅実な表現が、仏師の優れた彫技を明らかにしている。マント状の蓑をまとわず、両膝を露わにする点に特色がある。体内に元文3年(1738)銘の納入品があり、製作年代は納入品の年代に近いと考えられる。大峯山寺にまつられる「秘密の行者像」の写しの可能性がある像である。
【紫金山小松院法楽寺】…大阪市東住吉区山坂1-18-30。(2000/05、2006/06)
 真言宗泉涌寺派。
 近畿三十六不動尊霊場第三番。
 平重盛の開基(治承2、1178年)。
 熊野への発着地として修験との深い関わりを持ち続けた。近くの山坂神社も熊野への発着地として修験との関わりを持った。
 二度目に訪れたとき、境内がかなり整理されていて、本堂とは別に、境内の不動明王の石像を祀ったところに、小さな役行者の木像も祀られていた。
大阪市 平野区
【田畑口地蔵】…大阪市平野区平野東2-3-25の南角。(2018/09)
 地蔵堂の左に、役行者の半肉彫りの石像が祀られている。台座には「大峯大護摩講」「文化丁卯四年(1807)?」「世話人……」の銘がある。
 役行者は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。丸顔であるが、風化が進んでいて、表情はよく分からない。

 説明板には、次のように記されている。
【平野郷十三口】―平野環濠都市遺跡
田畑口地蔵
 この地蔵堂は田畑口門の傍らにあって、藤井寺、道明寺から南河内、大和へ通じる木戸口であった。
 役の行者像が祀られているのは、この出入口が大峯山への参詣道であることを示している。
 戦国時代の平野郷は、町の安全を図って市街のまわりを壕と土塁で囲み、その壕の間に各方面に通じる十三の木戸口がおかれ門や地蔵堂があった。
 摂州平野大絵図(説明板の絵図)
  宝暦十三年(一七六三年)
【野中山薬師堂全興寺】…大阪市平野区平野本町4-12-21。(2018/09)
 高野山真言宗。本尊は薬師如来。
 おおさか十三佛霊場第七番札所。摂津国八十八ヶ所霊場第三十九番札所。
 大阪市指定文化財の木造役行者倚像は、本堂に祀られている。拝観は、毎月21日の3時から行われる水子・先祖供養の前後に限られる。
 趣向の凝らされた、楽しいお寺である。

 今から千四百年前の昔、聖徳太子が平野の野中の地に小宇を建立して、薬師如来の像を安置されたと寺伝にあり、これが全興寺の草創です。その薬師堂からしだいに町が形づくられ「平野」発祥の地とも言われています。本堂は江戸時代初めの1615年大阪夏の陣で一部を焼失。1661年再建されたもので、大阪府下では古い木造建築の一つです。(「おもろいてら全興寺ご紹介ガイド」)

 「大阪市のホームページ」によれば以下の通り。
平野郷の中心に寺地を構える全興寺に伝来する、修験道の開祖とされる役行者の単身像である。総高が1m弱の大きな行者像で、頭体を通して主要な根幹部を一木から彫出し、内刳りを施した上で割矧ぐという、古様な構造を示す。長いマント状の蓑を着けず、両膝をあらわにする点などに特色がある。製作年代は14世紀末から15世紀(室町時代)と考えられる。役行者信仰が盛んな大阪市内に伝来する役行者像の古例である。
【王舎山長生院長寳寺】…大阪市平野区平野本町3-4-23。(2018/09)
 高野山真言宗。十一面観世音菩薩。
 摂津国八十八ヶ所霊場第三十八番札所。
 本堂には、閻魔大王、不動明王、本尊の十一面観世音菩薩、毘沙門天、地蔵菩薩が祀られている。
 護摩堂には、弘法大師、不動明王、役行者が祀られている。
 彩色された役行者の木像は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。その表情は、眼を細くし、口を少し開け、明るい笑顔をしている。壮年の姿で、膝上まで法衣をたくし上げている。(写真06)

 王舎山長生院長寳寺の文化財
 当寺は、平安時代(八〇六~八一〇)に、桓武天皇の妃となった坂上田村麻呂の娘春子が、天皇の崩御後、兄の広野麻呂の居る平野に来て落飾、慈心大姉と号し、天皇の廟所として禁輪寺、坂上氏の氏寺として本寺を開基、以後代々坂上氏の女子が比丘尼として法灯を継いできました。寺伝では南北朝時代、後醍醐天皇が皇居を吉野に移される時、当寺を仮皇居とされ、熊野権現社に扁額を賜ったという。
 本寺の絹本着色「仏涅槃図」は釈迦入寂の様子を描いた物で、鎌倉時代の名品の一つです。銅鐘は建久三年(一一九二)の銘を有し、京都東山金光寺の鐘であったことがわかり、鎌倉時代の代表的和鐘の一つに数えられています。ともに国の重要文化財に指定され、市立美術館に寄託されています。他に「長宝寺縁起」「よみがえりの草紙」「逆修講縁起」があり、毎年五月十八日には秘仏の十一面観音像・閻魔王像が開帳され、「えんま王の御判」を押捺する法会があります。
 杭全神社との由縁から、毎年七月十四日の夏祭りには「みこし渡御」の神事が行われています。(長宝寺門前の説明板)

 閻魔大王御判の由来(抜粋)
 此の御判は「平野長宝寺よみがえり草紙」にある通り、永享十一年(一四三九年)慶心坊が本堂で読経中、閻魔王のはからいで當寺院の不動明王に導かれ、閻魔王宮に行き、閻魔大王が牛頭鬼・馬頭鬼を使い鉄の刺股で、極楽行、地獄行と閻魔大王自ら決め、善根していない者は、地獄に堕ち、□に□□□地獄の責め苦が日毎、夜毎くり返され、八大地獄の苦難の恐ろしさを見せ、生前に善根功徳をする様にすすめるために、慶心坊を頓死させ、其の証拠として慶心坊の額に判を押して蘇生させたが、人々は信じないので、嘉吉元年(一四四一年)十月十五日慶心坊が読経中一疋の青蜘蛛を下□それをつかむと気を失い、又、閻魔王宮に行き、王に召され八大地獄を見せたが、人々が信じないので、前に慶心坊の額に判を押したが、色がうすくなったので、今お前の手の掌に証判の印文□王の一字を押す□此の証判を版木に刻り、其の判を押して人々に結縁さす様に固くおおせ□れたので、三日後に蘇生した後は、閻魔大王より頂いて持帰った証判を今の世まで、一般参詣者に結縁授与するものなり/合掌/王舎山 長生院 長寳寺(本堂前の説明板)
大阪市 中央区
【大阪歴史博物館】…大阪市中央区大手前4-1-32。
 2001年11月3日に開館した。前身は、2001年3月31日に廃館した大阪市立博物館(大阪市中央区大阪城1-1)である。
 役行者前後鬼・八大童子像。絹本着色、室町時代(『役行者と修験道の世界』毎日新聞、1999年、24頁、208頁)。(1999年末)
【高津山報恩院】…大阪府大阪市中央区高津1-12-28。(2020/10)
 不動明王。真言宗醍醐派。
 近畿三十六不動尊霊場第五番札所。おおさか十三仏霊場第十一番札所。 摂津国八十八箇所霊場第二十一番札所。
 院内の西南の角に、神変大菩薩の精緻な青銅像が祀られていた。台座に昭和三十八年正月元旦の銘がある。右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。痩身で細面、その表情は、半眼で口を軽く閉じ、微妙な笑みを浮かべている。(写真07)
堺市 堺区
【船待神社】…大阪府堺市堺区西湊町1丁。(2025/03)
 役行者石像(境内、右側の不動堂)。役行者社(境内、左側奥)。
 不動堂の中央に不動明王の石像が祀られ、その左右の足元に役行者、理源大師の石像が祀られている。
 役行者石像は、浮彫で、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像である。役行者社の小祠は閉じられているので、中の様子は分からない。
堺市 南区
【大修恵山高倉寺宝積院】…大阪府堺市南区高倉台2丁9-15。(2025/03)
 薬師如来。行基開基。高野山真言宗一等格院。
 河泉二十四地蔵霊場第24番。和泉霊場第19番(宝積院)、和泉霊場第20番(高倉寺)
 泉北高速鉄道線泉ヶ丘駅から徒歩20分。
 堺市指定有形文化財の宝起菩薩堂に、正面の厨子の前面には宝起菩薩像の掛け軸、右側には不動明王、左側には役行者、前鬼、後鬼の彩色された木像が祀られている。玉眼の役行者は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像で、前鬼、後鬼はその足元に跪いている。(写真08)

   高倉寺(堺市の説明板)
 当寺は真言宗の寺院で、大修恵山という山号は、須恵 (陶) に由来するものと考えられています。高僧行基が開創した四十九院のうち、慶雲2年(705)に造営された「大修恵院」です。
 当寺に御幸された高倉天皇から、 多くの朱印地と「高倉山天王院」の山号と寺号を賜りましたが、応仁の乱や永正7年(1510)の摂津河内大地震、織田信長の焼き討ちにあい、多くを焼失しました。
 その後、真海僧正、僧快盛が復興に努めました。慶長9年(1604)小出三尹が陶器に陣屋を置き、当寺に帰依して諸堂の修理・改築などに尽くしました。
 明治時代、本坊、宝積院以外の塔頭寺院数ヶ寺は廃寺となりました。
 当寺所蔵の「法起菩薩曼荼羅図」は、法起菩薩堂の本尊として長年祀られてきた室町時代の仏画で、堺市指定有形文化財となっています。
【補陀洛山放光寺】…大阪府堺市南区美木多上。(2025/06)
 高野山真言宗。千手観音菩薩。
 和泉八十八ヶ所霊場第三十一番。和泉三十三ヶ所霊場第五番(和泉西国第五番)。
 南海バス・城山台1丁。徒歩7分。
 寺伝よれば、白鳳年間に役行者の開基といわれる。しかし役行者ゆかりのものは、見当たらなかった。
【檜尾山行者堂】…大阪府堺市南区檜尾。(2025/06)
 南海バス・赤坂台1丁南。徒歩10分。
 以下は行者堂前の石碑。役行者像の拝観はかなわなかった。

  檜尾山行者堂
 この御堂には役小角像が安置されている。
由来によると正徳年間「一七一一年」
住僧寛誠律師が和州金剛山行者坊より
「えんのぎょうじゃ」の御像を檜尾総福寺に
勧請安置したものと伝えられる。
明治五年に中井源平氏がこの土地を寄附し
村人たちがこのお堂を建て現在に至る。
        伝 承
  昭和六十年四月七日建立
 毎月 七日が例祭
 九月十五日が大祭
堺市 北区
【仏頂山金輪寺光明院】…大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-732。(2025/05)
 高野山真言宗金剛峯寺。一字金輪仏頂釈迦如来。
 和泉八十八ヶ所霊場第11番。阪和西国三十三ヶ所観音霊場第6番。
 境内に頭守地蔵、不動明王、役行者が祀られている。
 役行者は、浮彫の石像で、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚坐像である。足下に前鬼、後鬼を従えている。面長で謹厳な様子をしている。(写真09)
岸和田市
【布引山神於寺】…大阪府岸和田市神於町185。(2006/02)
 天台宗。神於山(296.3m)の南麓。
 白鳳12年に役行者が開基したという(『神於寺縁起絵巻』)。明治維新の廃仏毀釈によって壊滅的打撃を受けた。不動堂には、本尊・不動明王の左に役行者神変大菩薩、右に弘法大師が祀られている。残念ながら不動堂の内部を伺うことはできなかった。
 神於布引神社が新たに修復されていた。現在は大日堂の修復を予定しているようだ。常夜燈には神於布引神社と彫られていた。
 『役行者と修験道の世界』には「神於寺縁起断簡」(兵庫・顚川美術館)、「神於寺縁起模本」(大阪・神於寺)が掲載されている。
 岸和田市のホームページ(2011/12)では、次のように紹介されている。
 神於山の南麓に位置する天台宗寺院。神於山は古来神体山として崇敬され、山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。かつて当寺に伝わった神於寺縁起絵巻(南北朝期)は中世の縁起絵巻の優品として有名ですが、絵画部分が寸断されて米国や国内のコレクター、美術館などに分散して保管されています。縁起によれば役行者の開創で新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、一旦荒廃したのちに百済僧光忍が奈良期に中興したそうです。
 また、修験道との関わりが強く、葛城修験の一霊場として発展しました。中世にはしばしば戦場ともなり、織田信長が紀州攻めの際に付近に逗留したこともありました。
【朝日山長光寺】…大阪府岸和田市内畑町。(2006/02)
 高野山真言宗。
 開基は穂日宮、中興は役行者で、そのあとを行基が継ぐ。北西を見ると、登ってきた神於山があった。
【牛滝山大威徳寺】…岸和田市大沢町1187。(1999/01、2000/01)
 天台宗延暦寺末。役小角の開基。
 役行者倚像、前鬼、後鬼。葛城第10経塚。牛滝(一の滝?)、二の滝、行者の滝(三の滝?)。
豊中市
【上野西の石標】…豊中市上野西3。(2007/03)
 大阪モノレール・少路駅の西、少路南の交差点を西に行くと階段があって、それを下ると、左の辻の北西の角に葦簀で囲われた自然石の石標がある。
 上部に役行者が浮き彫りされている。その右には大峯、左には山上と彫られている。
 「奉為二世安楽五拾度」と彫られた文字の、右に「右大阪」、左に「左熊野田」と記されている。もとは旧箕面街道と明治以降の箕面街道の合流地点にあったものだという。背面には明治廿五年五月とあって、施主は打上の人である。

上野西の役行者道標
うえのにし
豊中市
(1丁目)<箕面街道>
石道標(尖頭角柱)
高158㎝,24㎝角
江戸期
大阪の街道と道標p237/岡田常雄
移設
(正面像下)「すぐ、みのを山/かつをう寺、道」、(左面)「すぐ、上新田/京、道」、(右面)「すぐ、いたみ/中山、ミち」、(裏面)「すぐ、大坂/はっとり、天神 道」/正面頂部に「大/峯」と陰刻、その下を光背型に削り込み役行者倚像(杖)を陽刻/大坂の表記は江戸期/豊中市に多い役行者道標の代表格
【北桜塚の石標】…豊中市上野東1。(2007/03)
 梅花学園の南、阪急・豊中駅の東方にある北桜塚4の交差点の北東の角に石標が建っている。勝尾寺街道と旧箕面街道の交差点になる。
 石標の南面の上部に役行者が彫られている。
【中桜塚の石標】…豊中市中桜塚五丁目1。(2007/10)
 豊中三中の南西の交差点を南へ。富士フイルム株式会社桜塚アパートの南西の角。もとは勝尾寺街道と旧箕面街道との交差点にあったという。石標の南面の上部に役行者が彫られている。(写真10)

中桜塚の役行者道標2
(5丁目)
<山田街道・箕面街道>
石道標(尖頭角柱)
高115㎝,幅28㎝,厚20.5㎝
江戸期
大阪の街道と道標p233,237
移設?
(正面像下左)「すく みのかツを寺」、(左面)「すく 柳谷 京道」、(右面)「すく 櫻塚 尼ヶ崎道」、(裏面)「すく 服部 大坂道」/正面頂部に「大/峯/山/上」と陰刻、その下に役行者倚像(杖)を浮彫り、像下中央に「三十七度」と陰刻/大坂の表記は江戸期
池田市
【愛宕神社】…大阪府池田市綾羽2丁目。(2003/03)
 五月山公園・五月台の東北東。
 石の鳥居をくぐって石段を上がる。途中、左手に松伯大明神を祀った小社、右手に「行者神変大菩薩」の扁額が掲げられた行者堂がある。
 ふくよかな、優しい顔立ちの神変大菩薩・役行者の石像が祀られている。
 石段を上って、社殿の左手に「大日大聖不動明王」のお堂があり、その左に行者堂がある。老齢で痩身の厳しい顔をした役行者の石像が祀られている。(写真11)
高槻市
【北山本山寺】…大阪府高槻市大字原。(1996/10、1997/12、2006/04、2009/05)
 天台宗。役行者自作の毘沙門天が本尊。
 本堂の右手に開山堂があって、堂内に役行者、前鬼、後鬼の木像が祀られている。「御開山行者神変大菩薩」と書かれた提灯の下にある左右の前鬼、後鬼は見ることができるが、厨子に納められた役行者神変大菩薩は見ることができない。

 由緒について高槻市教育委員会の説明には、次のように記されている。
「本山寺は、北山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、役の行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという」。
また勧請掛にある本山寺の説明板には、次のように記されている。
「本山寺は別名『霊雲院』ともいい、毘沙門天を本尊としています。役の行者が葛城山で修行中、このあたりに五色の彩雲がたなびくのをみて、この地に来て行をし、毘沙門天の像を刻み、堂をかまえました。時は696年のことです」
「当山は霊雲院と号し、文武天皇の元年役の小角草創し自作の毘沙門天像(重文)を安置し、……本尊毘沙門天王は役小角の作、山城鞍馬山大和信貴山と相並びて本邦三毘沙門と称せられる(望月仏教大辞典より)」
【行者衣掛之松】…大阪府高槻市大字原3301-1。(1996/10、1997/12、2006/04、2009/05)
 本山寺の南にある。
 本山寺住職による説明板。
「文武天皇即位元年(六九六年)役行者神変大菩薩葛城山に於いて北方に奇瑞を感じ当山にわけ入られ松の木に衣を掛け休憩されたと伝えられている所です。/古るくより南方葛城山並びに山上岳(大峯山)を遙拝する場であります」。
【根本山神峰山寺】…大阪府高槻市大字原3301-1。(1996/10、1997/12、2006/04、2009/05)
 天台宗延暦寺派。本尊は毘沙門天。役行者の開基。
 本堂の奧の開山堂には、役行者、前鬼、後鬼の木像が祀られている。堂内を見ることができないが、ホームページに見られる役行者像は、右手に錫杖、左手に経巻を持った倚像で、玉眼のようである。

 由緒について高槻市教育委員会の説明には、次のように記されている。
「神峰山寺は、根本山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、役の行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという。……比叡山(京都府)、葛城山(奈良県)と並ぶ7高山のひとつに数えられ、僧坊21・寺領1,300石に及んだ」。

『神峰山寺秘密縁起』を参考にした、神峯山寺のホームページにおける「神峯山寺の山岳信仰」によれば、開山縁起について次のように述べられている。

……神峯山寺は天台宗寺院として千年以上の歴史を持つ古刹ですが、伽藍やお堂は天台宗が伝わる以前から存在していたのです――。開山当時、神峯山一体は山岳信仰が盛んな霊場として知られ、比叡山や葛城山に並ぶ「七高山」として多くの修験者が行き交っていました。……
……遠く大和の国・葛城山中で修行をしていた役小角は、遥か北方のおぼろげに見える稜線付近から一点の光を見つけ、その地に向かいます。そして辿り着いた九頭龍滝で、水神・金毘羅童子に出会ったのでした。神峯山の地に水の神がいた由縁は諸説存在しますが、当時の畿内の地形は摂津近辺まで瀬戸内海の入り江が存在し、今日よりもさらに海が神峯山に迫っていたことが理由の一つとも言われています。
……その金比羅童子は役小角に対し、この地に伽藍を建立するよう告げました。その際に使った霊木から、童子は四体の毘沙門天像を刻んだとされています。そして、それらのうち一体は神峯山寺に留まり、第二は北東に位置する京都・鞍馬山へ、第三は南方に位置する奈良・信貴山へ、第四は神峯山の北峯へと飛び去ったと伝えられているのです。さらに、四つの毘沙門天の軌跡を辿れば、この伝説の興味深い点が現れてきます。
……まず、神峯山寺は現在も本堂に(毘沙門天?)が鎮座しており、その奥の院と称される北峯の本山寺もまた、毘沙門天が奉られています。さらに北東に向かえば、鞍馬には毘沙門天を奉る鞍馬寺があり、南方・信貴山には「毘沙門さん」として今も人々に親しまれる朝護孫子寺が存在するのです。文献によれば、信貴山は開祖・聖徳太子が天空に毘沙門天を見たことから日本最初の毘沙門天出現地とされていますが、四体の毘沙門天の発生は同時だったのではないかという推察を立てることが出来ます――。
……神峯山に残る山岳信仰と毘沙門天とは深い繋がりがあり、役小角による修験道の世界においても毘沙門天は信仰の対象として厚く奉られていたようです。事実、今日においても神峯山寺や麓の村では修験者にまつわる行事が行われており、この地における山岳信仰がいかに所縁があったかをうかがい知ることができるのです。

『神峰山寺秘密縁起』によれば、697年(文武天皇元年)役行者が葛城山中より、葛城山と葛城山と北方の嶺とに金色の光が往来するのを見て当山を訪れ、地主神金毘羅童子のお告げにより、伽藍を建立、霊木を得た。金毘羅童子はこの霊木で4体の毘沙門天を刻んだ。これが、日本最初の毘沙門天といわれる。この4体の内、最初の像は動かず、宝塔院(神峰山寺)の本尊となった。次の像は北東に飛去り鞍馬寺の本尊に、第3の像は信貴寺の本尊、第4の像は北嶺に飛去り奥院霊雲院(本山寺)の本尊になったという。
 774年(宝亀5年)開成皇子が弥勒寺(現箕面・勝尾寺)より入山し、草創時の6坊を顕密両座の12坊に分け、極楽院、来迎院2院の別所も創始し、中興の祖となった。皇子の父、光仁天皇以降、歴代天皇の勅願所ともなっている。
 役行者の開山伝承がある、比叡、比良、伊吹、神岑、愛宕、金岑、葛木はいわゆる「七高山」と呼ばれ、ここ摂州神峰山も畿内近国の天台修法のための7ヶ所の高山・霊場の1つに数えられ、大いに栄え、最盛期には、僧坊21・寺領1300石に及んだといわれる。
 足利義満や淀君、豊臣秀頼などの寄進により、多くの堂塔が造営されたが、江戸時代に殆どが焼失し、現在は宝塔院(本院)、寂定院、龍光院の3院を残すのみである。
【笈掛石】…大阪府高槻市大字原3301-1。(1996/10、1997/12、2006/04、2009/05)
 神峰山寺の山門の前にある。
貝塚市 
【道陸神社】…大阪府貝塚市木積。(2000/01)
 水間観音と奥水間温泉の間にある。
 泉之国道陸山・道陸神社、蔵王大権現。
 蔵王堂に金剛蔵王大権現が祀ってあり、その右に役行者の像が三体祀ってあった。
枚方市
【清涼山長泉寺】…枚方市甲斐田町17-25。(2010/11)
 融通念仏宗。阿弥陀如来。
 鐘楼の右に、こぢんまりと役行者の石像が祀られている。半肉彫りで、右手に錫杖、左手に経巻を持つ倚像である。顔のしわが深く彫られているが、品のよい表情をしている。(写真12)
【究竟山一乗寺】…枚方市岡南町3-16。(2010/11)
 浄土宗。阿弥陀如来。
 境内には、役行者は祀られていない。ただし本堂に、役行者が祀られているかどうかは、不明。
 当山は寺伝によると元は山城の洛北一乗寺村にあった天台宗の寺院で(現在は浄土宗)、現在地が平安京の裏鬼門に当るところから移され、伝教大師最澄が阿弥陀仏と日吉大神の像を刻し、王城鎮護の寺社と定めた事に始まるという。弘法大師も役行者、弁財天の2像を安置、天下鎮護の祈祷をしたと伝える。
【遺教山円通寺】…枚方市津田元町2-18-1。(2010/04)
 浄土宗。阿弥陀如来。
 行者堂は見当たらなかった。
 平安時代に著された『諸山縁起』には葛城北峰の宿として、宣教大師開創の寺院が登場すること、現在の円通寺の境内には行者堂があることなどから、古代から中世にかけて葛城修験の霊場として隆盛していたと思われる。
 1669年(寛文9年)えんず谷の跡地に釈迦堂が再興され、のちに津田村の春日神社付近に移り、1700年(元禄13年)に同社境内に引き入れられた。
 寺伝の古記録によると1701年(元禄14年)に浄土宗知恩院末となり、遺教山円通寺と号した。現在地には1761年(宝暦11年)本堂を建て移転し、現在に至っている。境内には観音堂(右端の建物)のほかに、行者堂、大日如来堂、地蔵堂が立ち並んでおり……。
茨木市
【泉原】…大阪府茨木市大字泉原。(2007/04)
 阪急バス泉原バス停。
 泉原のキリシタン自然歩道入口に、「大峯為三十三度供養」の石碑があって、上部の祠の部分に、頭部の欠けた役行者の石像が入っていた。供養塔には「左泉原」「右妙見」と彫られているので、もともとは別の場所にあったものかも知れない。(写真13)
八尾市
【大聖勝軍寺】…八尾市太子堂3丁目。(2006/07)
 高野山真言宗。下ノ太子という。
 上ノ太子は叡福寺。中ノ太子は野中寺。
 境内の南東に、野太い造りの役行者の石像が祀られている。一千二百五十年遠忌の銘がある。
【写真一覧】(ページのトップへ)
 (写真01)四天王寺の役行者
 (写真02)四天王寺庚申堂の役行者
 (写真03)有栖山清水寺の役行者
 (写真04)今福行者尊の役行者
 (写真05)紫雲山神光寺の役行者
 (写真06)長寳寺護摩堂の役行者
 (写真07)高津山報恩院の役行者
 (写真08)高倉寺宝起菩薩堂の役行者
 (写真09)金輪寺光明院の役行
 (写真10)中桜塚・石標の役行
 (写真11)愛宕神社行者堂の役行者
 (写真12)清涼山長泉寺の役行者
 (写真13)泉原のキリシタン自然歩道入口  

     (写真01)四天王寺の役行者

    (写真02)四天王寺庚申堂の役行者

    (写真03)有栖山清水寺の役行者

     (写真04)今福行者尊の役行者

    (写真05)紫雲山神光寺の役行者

    (写真06)長寳寺護摩堂の役行者

    (写真07)高津山報恩院の役行者

   (写真08)高倉寺宝起菩薩堂の役行者

    (写真09)金輪寺光明院の役行者

    (写真10)中桜塚・石標の役行者

   (写真11)愛宕神社行者堂の役行者

    (写真12)清涼山長泉寺の役行者

 (写真13)泉原のキリシタン自然歩道入口の役行者